@donpy 通信【573号:2013/07/28版】〜 本当にガチなゲームは存在します。
まさかのコナミ号で、セガの話題ですいません。
まあ、この画像で胸熱なんて言ってる人の確率がいかほどのものなのか知りたくなったりする、そんな日曜日です。この話は後に続きます。
さきほど Facebook でエントリーしたものの、日本語的にちょっとおかしかったり。あ、でも全体的に基地外じみてたりするわけですが、あえてブログで再掲しときます。
そのうち書きますが、ニュースはこちら、レビューはあちらなんで。
鵜呑みにすんなよ
だいたい、マジで話聞いたらダメですよ。鵜呑みはいかん。
そもそも、人の境遇というのは等しくあるものではない。
ただ、人の価値は等しくあるべきものだと思っていますが、それは才能も通じて、とある場所ではどん欲に、とある場所では怠惰に過ごし、その差は次第に縮まっていくものと考えています。また、逆に開いていくこともあるでしょう。
自分に与えられた使命はなんなのか。
それはアイデンティティとかいう難しい哲学的用語で語られることも多いながら、私にとっては結果を等しくというのは本当に下らないし、そもそもの境遇まで等しくしようなんてこと、この自然界に対する反逆以外の何物でもないと思うわけです。
おまえは神か?
とさえ思うわけです。歴史に反逆するということは数千年を生きてきた全ての人類の積み重ねを否定するだけであって、じゃああなたその人間の寿命内でどうにかできると思ってるんですかと。バカも休み休み言えと。神だからこそのグチなのですか?と、そう思うわけです。
でも、そんな難しいことはどうでもいい。
いま、自分のやるべきことを自分で見つけるべきなんだと思うわけです。
もっと言えば今自分が置かれた立場を正しく理解するべきなのでは?と。
宇宙見てたら誰しも普段の些細なことはどうでもよくなります。そのために宇宙があるんじゃない。宇宙という無限の広がりをもつ空間の中で生きてるからこそ、どこまでも挑戦する意味がある。と思ってます。勝手な言い分ですけど。
しかしながら少なくとも、
過去を
今を
未来を
恨んでる暇などないと思いますが、いかがでしょう?
と、昔オパオパが欲しかった私はたった約3000000分の1の確率に心が折れていたことを恥に思うと同時に、同ゲームでアギト1975に至ってはMacの計算機では計算できないほどの低確率なのだということをついさっき知って自分の中で人生第1位の衝撃を受けたわけです。
どうせなら、5,000,000,000分の1くらいのレアアイテムでいいのではないだろうかと思ったりもしたわけなので。複数回チャレンジできる人生掛けての確率のレアアイテムこそレアでしょうと。
それくらいの幸運を手にする者もいれば、同じくらい不運を手にする者もいるのがこの世の中ならば、「平等」の意味がいかなるものなのか、考えさせられることも多い中で所詮ゲームだろってそのゲームに考えさせられてんだよというおかしな人間もここにいるって現実もこれを読んだ方々は数十億分の一の確率で気分を害されたかもしれないわけなのでお許し頂ければと思う訳です。
私の人生で数ある出会ったゲームの中でこれほどまで人生観まで問いかけてきたゲームは数少ない中のこれはひとつなのです。
ほんまゲームは人生やで。
ゲーム嫌いというあなた、それ最初から負けるケンカせえへんって言ってる人とおんなじやで。やったほうがええで、いや、やらなあかんで。本とか漫画読んでる暇、ニュース見てる暇、ゴルフやる暇あるんやったらひとつでも熱く語れるゲームでもつくりなっせ。なんでも一緒やけどちょっと触れたもんであとは毛嫌いしてたら、貴重な体験のがしてるっちゅうってことやで。
あほちゃうんやったらやってみ。おっちゃんが言いたいのはそれだけや。
みなさんはどう思われましたか?
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