1年半ぶりにケータイを使ってみて、iPhoneユーザーのひとりが思ったこと。
※ お願い
iPhone+ケータイ持ちのブロガーさん、ユーザーさんなどいらっしゃいましたら、同じようなエントリーでトラックバックとかコメントでも飛ばして頂ければ幸いです。私が感じたことはあくまで私だけであり、他の方々がどう感じているのか知りたいなぁと思っています。
昨晩、RucKyGAMESさんから「明日の正午、障子破りがケータイコンテンツでリリースされるよ」というお知らせを受けまして、1年半に渡りお蔵入りしていたDocomo N904iを引っ張り出してきて、充電して持ち出してみました。
いやはや、言葉で「ケータイが○○で」というエントリーなどはするものの、実際にケータイそのものを使ってないと実際どうなるか。そしていまや、iPhoneしか使っていない私がケータイがどのように見えるのか。を今日の朝から突然Twitterでつぶやいていました。
Twitterではこうつぶやいていた。
時系列で並んでいるんですが、記事的に逆でしたね(汗)上ほど新しいつぶやきです。
- 【CDiP Update】 【速報】障子破りのケータイ版リリース! – http://tinyurl.com/ycboel8
- ここじゃない? @ruckygames
http://yfrog.com/ef8xtgj
- く、見つからない! http://yfrog.com/esrbqj
- 続きはお昼に。
- ドワンゴと打ってみる。なんか新鮮だw http://twitpic.com/1awlao
- 各種設定もぶっ飛んでる! http://twitpic.com/1awkb3
- ヤバイ。油断するとタッチしてしまう。。痴漢常習者じゃないよ汗 http://twitpic.com/1awirw
- 1年半ぶりにケータイを携帯(ワラ http://twitpic.com/1awg8w
Docomoケータイをこう感じた。
iPhoneを持ってしばらくは「日本のケータイなんか」って気持ちを強く持たざるを得ない状況も確かにありました。なので、無理にでもiPhoneに慣れて、「脱ケータイ」を意識したのかもしれません。そういうこともあり、あの頃はすっかり慣れ親しんでいたケータイを封印したのです。ちょっとでも使うとiPhoneに慣れることができないと思ったからです。それくらいケータイとiPhoneは違うと当時も認識していたのでしょう。
しかし、私の場合はそれを実は楽しんでいました。未知の操作法っていうのは得てして「使いにくい」と表現されやすいのですが、本当の意味の「使いにくい」というのはそういうことでは無いと思います。実は機能的にもかかわらず、自分の道具の使いこなしが甘いために「使いにくい」と言い訳することもあるんじゃないかと思います。
例えばフリック入力はその入力方法を知ったときに「理にかなってるな」と私は思い、Touch時代のJBアプリで練習しまくっていた覚えがあります。この感覚でPCで「ブラインドタッチ」を覚える感覚に似ていたかなぁと。
前置きが長くなりましたが、ケータイを久しぶりに使ってみて思ったのが、
ケータイって軽くて持ちやすいな。
ということです。この第一印象ってかなり重要なのではないかと思います。やはりiPhoneのホールド感っていうのはケータイからは明らかに劣っているように思います。しかも重い。
そしてもう一つ思ったこと。
ボタンを押す感覚ってやっぱり凄いな。
ってことです。何も考えずに指先の感覚に任せることのできるアドバンテージは計り知れないなと思いました。
さらにもう一つ。
機能満載で安心だな!
ってことです。iPhoneとは違ってデフォルトで使える機能がケータイには満載です。この安心感も計り知れないなと思いました。
なるほど、なるほど。カメラも画素数でも2年以上前のケータイですら画素数では勝っているんですよね。すべては「使う人の便利」をこれでもかってくらい敷居を低くしている。そんな印象を受けました。これって別に、悪いことではないと誰もお分かりになると思います。
これだけ機種ごとに操作方法からメニューの内容から全然違うにもかかわらず、どの機種をもったとしてもiPhoneにはない「安心感」は確かにあるなぁと。この安心感から外れる「不安」こそ、計り知れないなと。
そしてiPhoneユーザーの一人は思うわけです。
しかし、2年近くiPhoneに慣れ親しんだ私は思います。慣れ親しんだからこそ思えること、それを今日Docomoケータイを使っていてハッとしたわけです。それが先ほどのつぶやきの中にも出てくるわけですが。
おもわずタッチしそうになった。
ほんとこれに尽きます。おそらく今ヘビーにiPhoneを使い込んでる方ならそういう場面は必ずあるのではないかと思いました。これ正直な話、タッチしそうになって「いけない、いけない。これはタッチのケータイではないんだ」と言い聞かせているにもかかわらず、それでもタッチしそうになります。
もっと言えば、久しぶりにケータイの文字入力をしてみたのですが、もう頭の中のイメージでは「ドワンゴ」なら「下ポチ上下」みたいなイメージが頭に湧いてしまうんです。かなり重度ですよねw
確かにボタンの感覚は素晴らしい。ですが、一度タッチインターフェースに慣れ親しんでしまうともう戻れないなと言うのが正直なところです。直感的に操作できて「速い」のです。iPhoneは。確かにシステムの安定性などはアプリによってはハングする場面とかはほんとありえないとも思ったりするのですが、それ以上に便利なシーンが多いんだなぁと改めて痛感しました。
また、iPhoneはアプリも含めて、UIがある程度統一されている。
ってことも思いました。アプリの審査も含めてiPhoneに画一性があり、どんなアプリでも簡単に使うことができるのもこういうところに秘密があるんだろうなと思いましたし、アプリを購入するサイトもAppStoreのような一元的なものではありませんので、非常に探しづらかったです。アプリ名を検索すればすぐに見つかると思ったのですが、そうではないんですよね。このあたりは賛否両論だと思うわけですが。
そして、最後にもっともケータイとiPhoneが決定的に違うなと思ったこと。
ケータイで見てるネットって本当にインターネットなのか?
こういう風に思いました。ケータイサイトも確かにインターネットです。しかしそれは本当に特殊な場所で一度その場所を離れて、また戻ってきたときにもの凄く見にくく、特異なルールの元で運営されている場所だなぁと。ケータイ本体のことを「ガラパゴス」と表現されることがよくありますが、いやいや。そんなもんじゃない。
ケータイサイトこそが「ガラパゴス」なんだと思った次第であります。本当にiPhoneはインターネットを閲覧する最高のモバイル端末だということを確信できましたです。
しかし、ケータイを持ち続ける意味も多分にあるなと思った次第であります。とにかくこの安心感はないと。
しかし、最後に私は、「本当の便利はその安心感の先にあるよ」と言いたいなと思いましたです。
道具に使われちゃいけないというのが私のポリシーです。あれ?iPhoneという道具の情報を発信するようなサイトやってる時点で道具に使われてるんじゃ?って突っ込みは大歓迎です、はい。