【ネクブロ:006】Mr.Perfect 「日刊 あおのうま」の明と暗。
私の大好きな男がいる。そいつは風貌からも話す口調からも見られない、「あくなき自分への挑戦」をテーマに生きている男だからだ。今日紹介するのは、そんな男前 @uma_blue 。もっと評価されるべきランキング堂々一位(自分基準)の人間だ。
こいつ本気だな。と心底私が感じたことは2回あった。
それぞれひとつずつの明暗があった。
相反する「明」と「暗」はとある「尾根」から真っ二つに分かれていった、ほんの結果に過ぎない。
明
(私にとって)このエントリーをどれだけ待っていたか。
そしてその Vol.1000 は期待されたような模範的なそんなエントリーだった。彼は「腹に落ちる」という表現をよく使うが、このエントリーほど「腹に落ちた」エントリーはない。1000 を見て、10000 を語るなんて、なんと素敵なことなのだろうか。
ほぼ丸3年、ずっと毎日書き続けることの意味を考えたときに実は既に Vol.999 でも述べられている通り、「私には何らの感慨もありません。」と周囲の期待とか喜びを一蹴している彼の心境やいかばかりか。つまり、周囲からの祝福の声、それに応えての Vol.1000 以降のロードマップに対する期待。恐らく彼にとってのVol.1000は実は Vol.999 なのではないだろうかと思った。Vol.999 はある意味、 Vol.1000 より Vol.1000 ぽい。Vol.1000 は図ったように模範生なのだ。そこに彼の人間性を感じるわけです。
ただの日記であれ、超絶お役立ちサイトであれ、1エントリーは1エントリーだ。それが1000日連続続けられたという価値は計り知れない。そして今日それを見事にやってのけた。その記念すべき Vol.1000 が実に凡庸に見えるような内容なのだが、それは意図的にそうしているとしか思えない。というより「それしか書けなかった」というのが正確なところだろう。
そう言うのも、前述した「私には何ら云々」とは裏腹に本人の意識外で、Vol.1000を迎える不安、それからの期待に対しての防御線を既に張っているように読み取れるのだ。逆に実に日記らしく人間味溢れるエントリーではないですか。日刊あおのうまは日記であるべくして1000回を迎えたと言ってよいのではないだろうか。と読者にとって、そういう結論に結びつく。
なるほど、頭がいい。
暗
上のエントリーは Vol.990 。パズドラを開始して丸1年、つまり、365日目のログインをもって課金引退宣言をしている号だ。今日を迎えるにあたってほんの10日前の出来事だ。
パズドラ仲間の中では衝撃が走った。なぜなら、彼はパズドラプレイヤーのほぼ最前線にいたからだ。そんな彼のプレイスタイルはただ一つ「モンスターBOXコンプ」。彼自身がパズドラをプレイするにあたって宣言していたことでもある。
「暗」には実は私にも予感があった。
確か今年の正月に「ノエルドラゴン」という3種類のドラゴンが新たに実装され、1回のチャンスでどれかひとつのドラゴンがプレゼントされるボーナス的要素で実装された祭りイベントだったのだが、実はどれかひとつしか取得できなかったときに初めて彼は弱音を吐いた。
正確になんと言っていたかは覚えていないが、私の中の記憶では「コンプに3年かかるなんて、心が折れそうだ」というような内容のことを言っていた。
鉄の意志でもって、ことにあたる彼にとって外的要因でその目的は脆くも崩れ去ろうとしているときに出た言葉だった。しかし、その後の運営側の配慮でそれは杞憂に終わる。私は思うのだが、杞憂に終わったとき彼の決心は固まっていたのではないかと思う。たかがゲーム、されどゲームの境地。
そんな中で彼のモチベーションは終わりなきコンテンツ追加の前に収束していくのであった。
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彼と言う人間はひとりだ。
日刊あおのうまは1000号を達成し、これからまだ続いていくだろう。彼は何も言わないが、1000号を機にこれまでのやり方を既に変えている。
このエントリーは彼にとって「呪縛からの開放」と位置づけたい。非常に前向きな取り組みだと私は思う。それなりに彼はこれからのやり方を考えていたんだと思う。私が思う以上に。
逆に、彼はこれだけ深くやりこんでいたパズドラはモチベーション的に収束してしまった。
彼のような人種を私は「鉄の意志なやつら」と括っているが、なぜ、このような明暗が分かれるのだろう。そんな疑問にいろいろと考えさせられた。そもそもモンスターBOXコンプが彼のパズドラへのモチベーションだったのだろうか。。。?
なるほど。彼はやはり頭がいい。
「明暗」など当人にとってはどうでもいいことなのだろう
そんなふたつの明暗を見ながら @uma_blue という人間がどんな人間なのだろうかと考えてみた。そして、私なりにたどり着いた結論はこうだ。
冒頭で述べた尾根とは「完璧主義」に他ならない。許せるのは自分であり、許せないのもまた自分なのである。究極の自己責任の領域だ。だから褒められることもけなされることも極度に嫌う。あくまで自分のやってきたことを自分なりの評価を今の段階では下しているだけに過ぎない。
だからこそ外的要因のためにやりきる意志に反して完遂できないことにさまざまな感情がわいたのだろうと思った。
それこそが完璧主義の強みでもあり、弱みでもある。そんな2つの「明暗」を日々リアルタイムに間近で見せていただけた私は本当に幸せだなと感じている。
「なるほど。彼は頭がいい。」
と言ったのには、彼のネットでの、いや、極上の人生の「日刊 あおのうま」のナカノヒトは、「称賛に値すること」をやってきたことに対して、きっと、それを全面的に受け入れてくれるであろう成長ができたのではないかということだ。それくらいの先は読むし、これまでのことも前提に置ける。そんな頭のいい人間だからこその1000日だったのではないかと思った。考えれば考えるほど、そうなるのだ。
最後になるが、これまで私の書いてきたことはあくまで私の推測に過ぎない。365日先に待っていたもの、1000日先に待っていたもの、その結果は他人は評価できるだろうが、当人が「どう感じたか」は他人には計り知れない。そもそも、明暗と表現したことですら、彼の心の中ではそんな分類になっていないのかもしれない。
そんな見た目おっとりのやわらかな男の芯の強さを感じながら Vol.1000 を読ませていただき、やっぱりこれからもやってくれるんだなと感じた次第です。
まずは「お疲れさまです。」と言いたい。そして最後に「よーやるわ」と括っておく。呆れさせてもらえる人間なんて、この人生であと何回経験できるだろうと思いました。おめでとう。そして、ありがとう。
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